【奈良井氏居城】奈良井城(長野県塩尻市)の見所~攻城レビュー㉟~

お城巡り
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奈良井城~奈良井宿を見渡す館跡~

全国でも有数の宿場町である「奈良井宿」それを見下ろすように城館がありました。その名も…というかそのまま「奈良井城です」奈良井氏が築城して館として機能していたそうです。

目下には(木で隠れていますが…)奈良井宿があります。

奈良井宿
奈良井宿

私もこの「奈良井宿」がメインだったのですが、グーグルマップで調べてみると、どうやらお城があるではないですかということで、今回は攻城していきます。そして、その他の寺社仏閣、面白い伝承などを厳選して紹介していきたいと思います。

【奈良井宿】
中山道43番目の宿場町。1キロにも及ぶ宿場の道は「奈良井千軒」と言われている。大火がなかったことで多くが江戸時代から残っており、「重要伝統的建築物群保存地区」に指定されています。

そんな私は、終日宿場と木曽氏の史跡巡りをしていました。

奈良井城へのアクセス

JR中央本線「奈良井駅」より徒歩で15分程で到着しました。駅を出て右側にそのまま「奈良井宿」が続いていますが、奈良井城はその上にある道路から登って行けます。

奈良井駅
奈良井駅待合室

奈良井駅はJR東海最高峰の駅らしいです。宿場町がこんな高いところにあるなんて凄いです…。

奈良井城入口
入口

入口はあまり整備されていなかったので気を付けてください。

奈良井城散策

入口から入ると雄大な空堀にそのままつながります。

空堀【奈良井城】
空堀

小さな台地に築城されていたことが分かります。この空堀を登って行くのですが、気がほったらかしにされていて歩くのも一苦労…。本当にそれだけは気を付けてください。また、私が訪れたときは雪も脛辺りまで積もっていたので、冬季の攻城は雪にも気を付けてください。

なんか気を付けてばかりですね…。ちょっと嫌な予感がしたのは言うまでもありません…。

空堀ははっきりと確認することができました。結構しっかりとした空堀で、深さも意外とありました。
台地の急斜面と空堀で囲まれていた城跡のようです。

そして、案内板を探していたのですが…。案内板らしきものはこの館跡に入っていく大手口にありました。

案内板【奈良井城】
奈良井城案内板

「絶対…ほったらかしだよな…」と思っていたのですが、見事にほったらかしになっていました。これは残念。私は実際に行って調べて知識として吸収するために城跡巡りしているのですが…これではどんな背景があってどんなふうに築城されていたのかが分かりません…。(2024年3月現在)

筆者
筆者

恐らく他の方が紹介されている「奈良井城」には詳細が書かれているので、歴史的背景を知りたい方はそちらへ

私の意地です。今回は遺構の様子だけ紹介します。

虎口は食い違いになっていました。この形式の残り方は、埼玉県の杉山城の食い違い虎口が連想されました。土橋を分かりずらいですが残っています。

館跡【奈良井城】
館跡

奈良井義高さんの館らしいですね。調べても公的なページなどは見つからなかったので、もっと調べてみようと思います。

遺構はこの程度で、わずかに残っているだけでした。ただ、遺構の形状などは崩れていなかったので、お城跡ということは容易に判断ができます。

奈良井宿の寺社仏閣

お次は、奈良井宿のおもしろそうな寺社仏閣を紹介しようと思います。

鎮神社
鎮神社境内

こちらは1、中原兼遠によって12世紀に建立された「鎮神社」です。奈良井宿の一番奥にあります。

中原兼遠と言えば…木曽義仲を育てた武将です。義仲は埼玉県の大蔵館で生まれ、木曽に来ました。そして、木曽で面倒を見ていたのがこの人物です。後に奈良井氏によってこの場所に移されました。なんと本殿は1644年に立てられたものだそうです。

ほんまる猫
ほんまる猫

木曽義仲が生まれた「大蔵館」は埼玉県の嵐山町にあります。私も嵐山に行くまでは知らなかったのですが、埼玉で生まれていたのは驚きでした。

【関連:義仲の生まれた大蔵館他】

その他、徳川秀忠が関ヶ原の戦いの際に一時滞在したとされる「法然寺」など、多くの歴史が伝わる寺社仏閣もあるので、宿場巡りや城跡巡りと一緒に、この地の歴史を感じてみてください。

終わりに

今回は、奈良井義高の城館である「奈良井城」を攻城しました。遺構はわずかながら、土橋・空堀・虎口などははっきりと残っていました。少し整備されていないのが気になりますが、看板を出しているのですから、それぐらいは整備していただきたいですね…。

筆者
筆者

整備よろしくお願い致します!

今回のマップ