前回のあらすじ
<前回の記事>
さて、比企城郭群巡りの最初を飾ったのは、【戦国期城郭の最高傑作】と言われる杉山城です。この城は、このような高い評価を受けながらも、近年まで誰が築城したのか、そして時代背景が定まっていませんでした。しかし、近年の発掘調査などを経て、ようやく見えてきたそうです。
そんな杉山城を散策した後は、再び駅まで戻り菅谷館周辺の散策並行します。
![杉山城](https://sp-ao.shortpixel.ai/client/to_webp,q_glossy,ret_img,w_900,h_675/https://hayagumo.xyz/wp-content/uploads/2024/02/P1000742.jpg)
そして、今回は菅谷館周辺ということで、以下の史跡を巡りました。
菅谷館
↓
嵐山史跡の博物館
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大蔵館
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鎌形八幡神社
【続100名城にも選定】菅谷館
菅谷館【嵐山町史跡】
杉山城から菅谷館までは約5キロです。再び駅方面に自転車を走らせて、「武蔵嵐山駅」からは、約2キロです。
そんな菅谷館ですが、この城跡も続100名城に選定されています。
【超おおまか解説】
菅谷館…鎌倉時代の武将【畠山重忠】の居城。現在残っているのは、後の戦国時代の遺構が残されている。
菅谷館は、かなり広大な敷地に遺構が残されていて、その姿をはっきりと確認することができます。
城内の様子【嵐山町史跡
![菅谷館【嵐山町史跡】](https://sp-ao.shortpixel.ai/client/to_webp,q_glossy,ret_img,w_900,h_675/https://hayagumo.xyz/wp-content/uploads/2024/02/P1000795.jpg)
城内を散策していきます。
![木橋](https://sp-ao.shortpixel.ai/client/to_webp,q_glossy,ret_img,w_900,h_675/https://hayagumo.xyz/wp-content/uploads/2024/02/P1000783.jpg)
歩いていけば、この菅谷館の多くの工夫に出会うことができます。例えば、土塁だけでも、蔀土塁(見通しを悪くする工夫)や、出枡形土塁(突き出た部分を造る)などがあります。
![虎口](https://sp-ao.shortpixel.ai/client/to_webp,q_glossy,ret_img,w_900,h_675/https://hayagumo.xyz/wp-content/uploads/2024/02/P1000797.jpg)
また、お隣には、オオムラサキの森やホタルの里というのがありまして、豊かな自然を感じることもできます。中には、小川が流れていたりするので、森林浴にも最適でした。
![ホタルの里](https://sp-ao.shortpixel.ai/client/to_webp,q_glossy,ret_img,w_900,h_675/https://hayagumo.xyz/wp-content/uploads/2024/02/P1000786.jpg)
【菅谷館の城主:畠山重忠】
そんな畠山重忠ですが、近年では、「鎌倉殿の13人」で登場したことで、注目されていました。この菅谷館も例外ではなく、多くの方が来訪していたと思います。私が訪れたのが、「鎌倉殿の13人」が放送されていた当時だったので、人気の高さを実感しました。
![畠山重忠像](https://sp-ao.shortpixel.ai/client/to_webp,q_glossy,ret_img,w_900,h_675/https://hayagumo.xyz/wp-content/uploads/2024/02/P1000798.jpg)
【プチ情報:畠山重忠が信仰していた神社】
余談になってしまいますが、なぜか私の訪れる場所に頻繁に彼が登場します。例えば、東京都青梅市の御岳山に鎮座する「武蔵御嶽神社」や、埼玉県秩父市にある「三峰神社」などは、彼が厚く信仰していた神社として知られています。周辺での彼の影響力が強かったことが分かります…。特に、共通点としてどちらもお犬様(狼)をご神体としていますね‥。
【畠山重忠に関連するスポット】
嵐山史跡の博物館
そして、畠山重忠や、比企城郭群の歴史について知りたい方は、是非併設されている「嵐山史跡の博物館」へ訪れてみてください。かなり詳細にこの地域の歴史を知ることができます。
【一点注意点!!】この「嵐山史跡の博物館」が休館していると、名城スタンプが押せませんので注意が必要です。
ちなみに、私は一度目は押しそびれています。「嵐山史跡の博物館」では、通常の休館日のほかに、特別展示の準備で休刊することがあるので、行く前に確認しておくことがおすすめです。
![嵐山史跡の博物館](https://sp-ao.shortpixel.ai/client/to_webp,q_glossy,ret_img,w_1013,h_675/https://hayagumo.xyz/wp-content/uploads/2024/02/IMG_5831.jpg)
展示は決して大きくはありませんが、中世の関東史で溢れているので、この時代が好きな人にはたまらない空間でしょう‥。入館料は非常に格安です。私は、ビデオで学習できるコーナーで1時間ぐらい情報を見ていました。
菅谷館周辺史跡
大蔵館【嵐山町史跡】
さて、菅谷館から他の比企城郭群に行く前に、今度は、周辺の史跡を巡っていきます。
一つ目は、大蔵館跡です。
![大蔵館【嵐山町史跡】](https://sp-ao.shortpixel.ai/client/to_webp,q_glossy,ret_img,w_900,h_675/https://hayagumo.xyz/wp-content/uploads/2024/02/P1000801.jpg)
これまでの話では、比企城郭群を中心にお話していましたが、
そんな嵐山町は木曽義仲生誕の地として有名です。
実際に嵐山町を観光して見ると、比企城郭群よりもこの「木曽義仲」が推されていました。「鎌倉殿の13人」が放送していた影響かは分かりませんが、私にとっては新たな知識でした。ここで生まれて、長野県の木曽に預けられたそうです。【追記:木曽氏ゆかりの木曽福島に訪れました。ちゃんとあちら側でも嵐山町が紹介されていました。】
【関連:木曽福島へ】
てっきり、木曾義仲って中部のほうの出身だと思っていました。私は、鎌倉時代周辺は範囲外なので、少ししかわかりませんが、この時代が好きな人にはたまらない場所でしょうね…。
![大蔵館境内【嵐山町史跡】](https://sp-ao.shortpixel.ai/client/to_webp,q_glossy,ret_img,w_900,h_675/https://hayagumo.xyz/wp-content/uploads/2024/02/P1000805.jpg)
さて、そんな大蔵館は、木曽義仲の父、木曽義賢の居城です。かつては、広大な敷地だったそうですが、今は、その姿はあまり見受けられません。
菅谷館の裏手近くにあるので、お勧めスポットです。
鎌形八幡神社【嵐山町史跡】
さて、次は、鎌形八幡神社です。
![鎌形八幡神社【嵐山町史跡】](https://sp-ao.shortpixel.ai/client/to_webp,q_glossy,ret_img,w_900,h_675/https://hayagumo.xyz/wp-content/uploads/2024/02/P1000810.jpg)
ここの清水は、木曽義仲の産湯として知られています。
![鎌形八幡神社入口](https://sp-ao.shortpixel.ai/client/to_webp,q_glossy,ret_img,w_900,h_675/https://hayagumo.xyz/wp-content/uploads/2024/02/P1000809.jpg)
![産湯](https://sp-ao.shortpixel.ai/client/to_webp,q_glossy,ret_img,w_900,h_675/https://hayagumo.xyz/wp-content/uploads/2024/02/P1000813.jpg)
菅谷館からは約2キロで到着です。
【プチ情報:周辺はおすすめサイクリングスポット】
このあたりの景色は、非常に自然にあふれていて美しい里山を拝むことができます。都幾川を中心とした豊富な水源と、田んぼなどが広がり、里山好きの私にはたまらない空間でした。自転車で走ると非常に気持ちが良かったです。
次回は、【小倉城・嵐山渓谷】です。次で武蔵嵐山編ラストです。
【関連:比企城郭群小倉城へ】
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