【教訓だらけ】雨月物語(著:上田秋成)ネタバレ感想~海辺のカフカとのつながり~【小説感想メモ③】

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上田秋成と雨月物語

「恒の産なきは恒の心なし」

雨月物語の最後を飾る「貧富論」の一節。

安定した職業や財産がなければ、安定した心を持てない。お金の神様はそう説いている。

これは昨今の社会でも通用する真理だ

幸せとは何か。それを常日頃から考えている人がほとんどだと思う。私自身も常に幸せのあり方は考えているし、金を取るかそれ以外を取るかというのは難しい話。答えを探そうとすると迷宮に迷い込む問題だ。


上田秋成の「雨月物語」は、現代に通ずる共感を学ぶことができる作品だ。

加えて、短い物語なので読みやすい。時間がないと錯覚している我々現代人におすすめの一冊だ。現代語訳版ならなおさら。

今回は、主に2点に分けて感想を綴る。

①9つの短編からなる「雨月物語」の中から特に面白いと感じた作品と、考えさせられた作品をあげながら、この作品の感想を書く。

②日本を代表する作家村上春樹の作品である「海辺のカフカ」との関連性を振り返って行きたい。海辺のカフカには、雨月物語を引用している箇所がいくつかある。私は海辺のカフカを読んだ時は、まだ雨月物語を読んでいなかったので、関係性とか言っている意味を100%理解することができていなかった。

雨月物語を読み終えた今だからこそ理解できるものがあるはずだ。海辺のカフカにも触れながら感想を書いて行きたいと思う。

じゃんじゃんネタバレ有りで↓

雨月物語
雨月物語

上田秋成という人物

私は雨月物語を読むまで、上田秋成という人物像がぼんやりとしていた。

たぶん、日本史の授業で見たことがあるくらい。何となく「上田秋成」という人物が頭に残っていた。今回雨月物語を読んだことで、ぼんやりとした何となくの「上田秋成」を明確にすることができた。

今で例えれば、彼はかなり多趣味な人間で、思慮深い教養人だったのだとか。文人と呼ばれるらしい。そう言われたら納得の物語構成。

各短編には元となる話があり、真に楽しむためには中国の歴史書まで知る必要がある。流石にそこまでは困難なので、解説を読みながら読み進めていったが、節々に教養の深さを感じた。中国の元となる話だけではなくて、日本の歴史とか文化、地名においてもかなり具体的なものが登場する。

赤穴一族…豊臣秀次…

私が戦国時代が好きなので、かなり解像度が高かった。日本の歴史にも精通し、修学の歴史にも精通している彼の作品には、目を見張るものがあった。

上から目線でごめんなさい🙇

そんな中でも特にお気に入りの物語を語っておこうと思う。

菊花の約

一人の男が友人のために「義」を貫くお話。

戦国時代の中国地方を舞台とした物語だが、個人的に時代背景が好きだ。乱世の世だからこそ、信義を貫く男たちが輝いている。人のため、約束のために命を投げ出せる美しさ。上田秋成がどのように物語を練っていたのかは分からない。題材の選択から時代背景、登場人物たちが辿る結末が、最適解を辿っている物語だと感じた。

現代で生きる我々には、しがらみがありすぎる。義を貫くことは難しい。私もできるだけ恩義には報いようとか、人に優しくしようとか、色々考えることはある。しかし、辿ってみれば結局人のためになんてやってなくて、全て自分のため。自分が徳を積むためにやっていることなのだ。恐らく、私は友人のために命は投げ出すことはない。そう思うこともない。いつから人間は、こんなに生きづらくなってしまったのだろうか。きっと今の時代で、同じような物語が展開されれば、ただの「重い奴」になってしまう。

菊花の約は、現実離れした信義の果たし方に見えるかもしれないが、私にとっては十分現実的で手の届く場所にあるのだと信じている。社会で生きる我々人間にとっての理想だ。

誰しもがこんな風に人を想えたらいいなと思う。

あ、もしかして「恋愛」ってこれに該当するのかな泣?だとしたら私は損をしている可能性がある。まあ純愛を見つけるのは至難の業だ。ましてや大人になってしまったら。


さて、「菊花の約」は海辺のカフカにも登場する。佐伯さんの霊を見たというくだりで、カフカと大島さんの会話に「菊花の約」が挙げられている。

恨み妬みなどの負の感情だけが、霊になる要因ではない。確かこんなニュアンスのことを言っていた。そのまま読み進めても、ある程度理解はできるものの、ある程度でとどまってしまう。「知っている」と「見たことある」は大きな違いだ。今回はこれにて「見たことある」になったので、いつでも引用してくれて構わない。また一つ私の本棚に刻まれた。

夢応の鯉魚

一番面白かった話が「夢応の鯉魚」だった。私は記憶にないが、教科書にも載っている物語なのだとか。確かに起承転結の4拍子は揃っているし、笑いどころも教訓も含まれている。夢応の鯉魚が一番だったという人もいるのではないだろうか。私は少なくともそうだった。

滑稽

これがぴったりな物語だと思う。僧という設定も相まって、興義の慌てふためく姿にじわじわと笑いがこみ上げてくる。評判の高い僧だからと言って、自分を律することは難しい。人間の本能には抗えないということも分かる。こんな人間臭い一面があるからこそ、人は人で入れるのだ。最近はミニマリストをはじめとして、人間の本能に抗うような方々もいらっしゃるが、私は人間臭い方が好き。たぶん鯉になって見ればわかる。

貧富論

「恒の産なきは恒の心なし」

冒頭で挙げた一節だ。人とお金は切っても切れない存在。どんなにお金から遠ざかろうとも、ゼロで生きることは難しい。貨幣経済が発展し、文明の味を知ってしまったら最後だ。ほんの少し前まで、当たり前に使われていた和式便所に、便をすることもままならない単純な動物なのだから。

私自身もどっちかと言ったら、「お金よりも趣味に生きる!!」みたいな人種だ。だが、先人から学べという言葉があるように、今回の貧富論には学ぶべきところがたくさんあった。

上田秋成の人物像を見てみれば、この言葉の解像度はより高くなる。

彼自身が多趣味に来ていた人間なのだから、彼の説く話には説得力が増す。結局お金に捕まるのであれば、無いよりある方がまし。あればあるだけ「安心感」が生まれるが大事なのだ。優越感とか名声とかとは別の話。別にお金を持っている状態で、お金を使わない選択肢だってできるのだから、考えれば当たり前だ。

お金から逃げることは、社会という競争から逃げているだけなのではないか。私は改めてそう思うようになった。私も、もう少しだけ社会で戦ってみようと思う。少しだけ元気づけられた気がする。

もう一つ刺さったフレーズがある。それは…

「お金はただ大切にしてくれる人のものに集まる」

という一節。これは現代語訳の方だが、これが正しくお金を得る一番の方法なのは、今も変わらないと思う。最近はお金を大事にしない人が多すぎる。飲み会だの付き合いだの、人のためになっているようで、人のためにも自分のためにもなっていない使い方。それを推進しているのが社会というしくみ。人の弱いところに入り込むのがビジネスだから仕方がないのかもしれない。

私の世界では、何故か貯金しているだけで馬鹿にされるし、ご飯代を削っているだけで色物扱いだ。今までは、お金の本質に気づけていないだけだと無視していたが、改めて、私の考えは間違っていなかったのかもしれないと思っている。またまた元気付けられたようだ。


「神にあらず仏にあらず、もと非常のものなれば人と異なる慮あり」

話を変えて、こちらのフレーズは海辺のカフカにも登場する。カーネルサンダースと中田さんの邂逅で引用されている。これが雨月物語の貧富論で語られていた言葉だと知っていたら、さらに面白く読めただろうなと思っている。

これが教養不足。特に村上春樹を読むとつくづく実感する。人生は長いから、ゆっくりと教養を培っていきたい。いつか、ドヤ顔で雨月物語を語れるように、お金と一緒に蓄えておく。

終わりに

雨月物語
雨月物語

雨月物語3.5

まあ、短編の集まりだから評価は難しい。それでも教科書に載るぐらい有名な作品だし、一度くらい読んだら人生のためになる作品だなと思っている。私はそういうフレーズをいくつか見つけることができた。

「恒の産なきは恒の心なし」

本当は収入を捨てて、すぐにでも田舎に逃げたい。だが、もう少し頑張ってみるとする。

ぜひ良い読書ライフを。ありがとうございました。