【躑躅ヶ崎館・甲府城・信玄堤】武田信玄が治めた甲府の見所~攻城レビュー㉒~

お城巡り
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山梨県甲府市中心の史跡巡り

今回は、山梨県の中でも、甲府駅からほど近い史跡を3つ程巡りました。

山梨県と言えば、甲斐の国と呼ばれてた県であり、かつては甲斐の虎と呼ばれる「武田信玄」が支配していた地域になります。

山梨県に行ってみるとわかりますが、甲府盆地を覗くと本当に山ばっかりで、よくこんな場所から支配地域を広げる力があったなと感心してしまうほどの辺鄙な場所だと個人的には思っています。悪口ではないですよ笑。山梨県大好きなので…。

かつてより石高で見ると少ない甲斐の国ですが、そんな国からなぜ虎が生まれたのか。そして繁栄していったのかを知るために、今回は山梨県に訪れました。実際に見てみると多くの工夫があり武田家の強さが分かった気がしました。

今回は、主に3つの史跡を巡りました。全て甲府駅からほど近い場所にある史跡です。

【今回の行程】
甲府駅

躑躅ヶ崎館

甲府城

竜王駅

信玄堤

この3つを巡りながら甲斐の歴史に思いを馳せました。

躑躅ヶ崎館(武田神社)【山梨県史跡】

概要

躑躅ヶ崎館は武田信玄や信虎の居城だった城跡です。1519年に武田信虎によって築かれました。

日本の100名城にも選定されている立派なお城で、現在は武田神社として整備されています。また、神社として整備されていますが、かつての居城であった遺構を見ることができて、非常に楽しい散策ができます。

勝頼は途中で新府城に移ったりはしましたが、それでも武田家の歴史が詰まった場所が周辺には多く存在しています。

アクセス

アクセスはいたってシンプルで、甲府駅より徒歩で向かうことができます。

少し距離がありますが、一直線に歩いていくだけなので、周辺の家臣たちのお墓などを巡りながら歩いていくと、なお楽しいです。私は甲府駅から歩いてきましたが、道中には武田信玄のお墓などがあったので、そこに寄りながら向かいました。

駅前には武田信虎と信玄の銅像があるので、そちらを写真に撮ってから向かいました。

【余談】
人気なのは晴信(信玄)ですが、やはり信虎も勝頼も私はかなり好きですね。実は人生で初めて読んだ時代小説に、出てきたのが信虎だったんです。(まあ追放されて晴信にスポットが当たりますが…。)なので、かなり思い入れがある武将です。

写真を撮り終えたら武田神社へ歩いていきます。

躑躅ヶ崎館(武田神社)へ

地図にも記載していますが、道中には武田信玄のお墓がありました。

武田信玄のお墓【山梨県史跡】
武田信玄のお墓

他にも家臣のお墓や屋敷跡があるのでたまらないですね。ということでお墓からまもなくで到着します。

武田神社【山梨県史跡】
武田神社

写真はありませんが、周辺はお堀で囲まれていて、いかにもお城の名残がある感じで、入る前から興奮していました。境内にも遺構は多く残っています。姫の井戸・武田水琴窟などの逸話が残るものも存在します。その辺は現地で確かめてみてください。

また、神社の前には信玄ミュージアムが設置されていて、この地の歴史や武田家の歴史を知ることができました。私は、この時はまだまだ青二才で知らないことだらけだったので、非常に勉強になりました。

私が来たときは、ツアーがやっていたようで、武田家の子孫の方が案内?していたっぽいです。「武田家~代当主の…です。」みたいな会話が聞こえてきたので、驚いてしまった覚えがあります。また、躑躅ヶ崎館の裏はすぐ山になるので、そちらの方にも史跡が残されています。要害山城などいっておきたい場所がいっぱいありますね…。私はいけませんでしたが…。

甲府城【山梨県史跡】

概要

甲府城は、武田家とはあまり関連がないお城で、武田家滅亡後に浅野長政によって築かれたお城になります。100名城の一つ

柳沢吉保が城主になると、城下町として大きく発展していったようです。学校の授業でも柳沢吉保は登場しますね…。また、ちゃんと近世城郭なので、お城の規模は躑躅ヶ崎館よりもこちらの方が凄いかもしれません。

アクセスは甲府駅前、徒歩ですぐに到着します。

甲府城に登城【山梨県史跡】

甲府城入口【山梨県史跡】
甲府城入口

城内からは甲府盆地を一望できます。交通の要所に築城されたお城らしいので、そんな一面を感じることができました。

城内へ【山梨県史跡】
城内へ
筆者
筆者

それにしても、100名城がこんなに近くに二城もあるなんて凄いですね…。要害山城もいれれば、甲府駅近隣は名城だらけです。

お次は、一つ駅を変えまして、信玄堤を見に行きました。

信玄堤【山梨県史跡】

概要

信玄堤は、現代にも残る武田信玄の治水事業の一つです。

今も川が氾濫すると助かることがあるそうなので凄いですね。先に写真を乗っけますが、恐らく見たことがある人は多いのではないでしょうか…。

信玄堤の聖牛【山梨県史跡】
信玄堤の聖牛

この写真は、遠い昔になってしまいますが、中学校の教科書にも載っているもので、私的には知ってる人はある程度いるのじゃないかと思っていますが、どうでしょうか…。私はこの記憶があったので、この地に訪れました。

現在は信玄堤公園として整備されています。

ここで勉強になったのは、多くのギミックを用意していて、それらを最後に受け止めるのが信玄堤なのだそうです。「信玄堤と言えばこれ!」と思っていたこの写真も、そのギミックの一つ。「聖牛」というそうです。
笛吹川・釜無川・御勅使川と甲府盆地に流れる川を、それぞれにあったやり方でせき止めて治水していたようです。甲斐の国では何よりも大事なことだったのでしょう。

詳しくは公園の案内に記載されているのでぜひ、勉強してみてください。

アクセス

アクセスは、甲府駅のお隣「竜王駅」から徒歩で30分程になっています。

ちょっと離れてしまいますが、私的には武田家と言ったら治水は外せないと思っているので見る価値はあると思います。公園も綺麗なので…。

ちなみに竜王駅の前には山県大弐像があります。

山県大弐像
山県大弐像

江戸時代に明和事件で処刑されてしまったのは、学校で習いました。また、武田家臣の山県氏の末裔なのだそうです。それは知らなかったです…。

終わりに

今回は以上となります。実は人生で初めての山梨県だったのでとてもワクワクしていました。この後には何度も行きましたが、やっぱり大切な初めての思い出です。

私は、北条推しなので、敵である武田家の脅威というのはよくわかっているつもりです…。特に1569年では、小田原城に攻められてますから…。

筆者
筆者

そして三増峠でも敗北しています…。

三増峠の戦いが行われていた近隣の城郭には行ったことがあるのですが、中々山梨の城郭は攻められていません。いつか山梨も制覇したいです。今回はこれで終了します。ありがとうございました。

【関連:三増峠の舞台‐津久井城‐】

今回のマップ