やはり俺の青春ラブコメは間違っている

『このライトノベルが凄い』殿堂入り作品、通称俺ガイル。
ひねくれボッチの主人公:比企谷八幡と、ボッチ美女:雪ノ下雪乃、コミュ強可愛さMAX:由比ヶ浜結衣の3人が織りなす青春ラブコメディ。総武高校奉仕部を舞台にして様々な事件を解決していく。
紹介不要の殿堂入り作品『俺ガイル』
筆者も大好きな青春ラブコメディですが、今更ながら原作に手を出してしまいました。元々2期を経て続きが見たくて読んでいた原作ですので、始めから読み通すのはこれが初めて。
これほどまでに読んでいてもどかしい作品はないんじゃないでしょうか。登場人物がひねくれすぎているのでテンポが独特だし、表現も婉曲で、幼い学生が見ると正直よく分からない世界観なんですよ。だから筆者は歳を追うごとに『俺ガイル』を見返すようにしていて、見返すたびに新しい気づきがあるのがこの作品なんです。
私も流石に社会人になり、これで全て見返すのは最後になるかもしれないということで、ダラダラと『俺ガイル』に思うこと感じたことを記そうと思います。

自分なりの俺ガイル論がある方は、ぜひコメントください。
【今回の記事の概要(ダラダラ注意)】
・由比ヶ浜結衣という女の子
・八幡と雪乃ちゃんの葛藤
・人間関係は誤魔化されて続いてしまう
・私が思う名シーン2選
①由比ヶ浜結衣という女の子

この子なしで『俺ガイル』は語れない。負けヒロインの代表格であるピンク髪ヒロイン由比ヶ浜結衣ちゃん。マジで筆者も大好きなキャラの1人。うん、普通に愛してる。ガハマ万歳!
その可愛さに目を奪われがちですが『俺ガイル』の中では‘‘一番まとも枠‘‘だから、間違った青春ラブコメにおいて見過ごされる感情を全て担わされる可哀そうな女の子。負けっぷりはどの作品と比べても色褪せない。負けて輝く千葉のヒロイン♡。
ズルいポイントがまず一つ。終盤から結衣の独白を入れてくる渡先生。今まで八幡越しに見ていた健気な女の子の裏側を見てしまって悶絶してしまう。結衣って言ってしまえば普通のヒロインなんですよね。一途に八幡を想い、アプローチもして、コミュニケーション能力も高くて可愛い、本当だったら高嶺の花ポジションにいるべき女の子なのに。このラブコメが間違っているから、どうしても脇役になってしまう。普通の健気な女の子が、言葉にできないコミュ障同士を結びつけ、言葉にさせる。どうしようもなく優しくて空気が読めてしまうから。
八幡と雪乃の距離感に『それ違うよ!』『どうしてそうしかできないの?』『言ってくれるまで待つことにしたから』と優しさの数々。そして時には、適切なタイミングで大事な話を切り出す。
・『どうして色んなことが分かるのに、それが分からないの!』(修学旅行海老名姫菜告白後)
・『私は全部欲しい……』(最終章目前葛西臨海公園での決意のシーン)
いつだって停滞したときに気づきをくれるのは、言葉をくれるのは、選択のタイミングをくれるのは結衣なんです。特に葛西臨海公園でのシーンは、気づかせたら、言葉にさせてしまったら関係が終わってしまうことを知りながら告げるのです。そして最終章の火ぶたが切られ、雪乃も八幡も自分の気持ちと向き合い、言葉にし始める。いつだって二人を引っ張ってくれていた優しい女の子だから、傷ついているところを見てしまうと、読者である我々も一緒に傷ついてしまう。
こんなに優しくて乙女な女の子がどこにいるんですか! いたら紹介してください!
そう言えば当時高校生だった私は2期12話の結衣の言った発言の意図が分からず、困惑した覚えがありました。今見返してみれば隅々まで彼女の心情が理解できてしまうのですが、アニメで解像度が低かった人は原作でそのシーンを見れば彼女の真意を測ることができるでしょう。『俺ガイル2期12話 考察』なんて調べていたころが懐かしい。今は色々成長して少しづつ人の気持ちも分かるようになっているから、結衣の嘆きが余計に効くんですがね(笑)
『本物なんて欲しくなかった……』
それが普通だよ結衣! 友達も好きな人も全部欲しいじゃん。あの人たち(特に八幡)本物とか言ってさ、どっちかを選ばないと馴れ合いだとか共依存だとか、人から貰った言葉で勝手に括られて拗らせすぎてるんですよ。結局陽乃さんに『共依存なんかじゃないです』って言ってさ、『だってこんなに痛いから……』(13巻?)ってもう結衣なりに答えが出てるのに、優しすぎるから二人が答えを出すのを待っちゃうんだよね。『悩んで悩みつくして、それでその先で一人の異性に特別な感情を抱けたのなら本物だ』(14巻)って静ちゃんも言ってたし(八幡に)、結衣は最初から答えを持っていたからこそ、辛かったよね。もう死にたい。
でもあれですね、総武高校が進学校設定だから、とべっちとか結衣のバカ設定は少し現実味が薄い要素でした。そこだけは終始拭えない感じが私の中にありました。進学校設定のラノベ(というかラノベって1人称だから心理描写の解像度上げるためには進学校にせざるを得ない)は『千歳君はラムネ瓶の中』にも代表されますが、そう言えば『負けヒロインが多すぎる!』も進学校だったか。あれ全部ガガガ文庫⁉
閑話休題、ここからは結衣と言うキャラをポジティブに捉えようと思います。
後に後述しますが、私が俺ガイルの中でも屈指の名シーンだと思う9巻より静ちゃんの言葉『誰かを大切に思うと言うことは、その人を傷つける覚悟をすると言うことだよ』を八幡が意識していたとすれば、八幡が本心で唯一傷つけた女の子は結衣だけなのです。
それは最上級の信頼の証とも言えるでしょう。
14巻の告白前『だか、お前はそれを待たなくていい』という八幡の発言。『自分で言葉にするから大丈夫だ』という結衣離れ発言、私はこれらの発言を初めて聞いたとき『なんてこと言うんだ!』と画面の前で憤慨していた覚えがありますが、ちゃんと考えればこれ以上の結衣の救済ルートはないなと、今は納得しています。
八幡が心を委ね共に時間を過ごし、傷つけた女の子。ちゃんと八幡なりに誠意を見せ振ったというのは、大切に思うことの裏返しですよね。そう考えると結衣も救われるなーなんて思ったりします。
雪乃には大切に思う気持ちを言葉にして、結衣を大事に思う気持ちは傷つけることで表した。実に俺ガイルらしい結末だ。だから八幡に対しては怒りはないのです。
結論:結衣大好き。

セリフの誤差は見逃してください。
②八幡と雪乃ちゃんの葛藤

この作品はぼっちの解像度が高すぎる(ぼっちの私が言うから間違いない)
・人との距離が掴めない。
・人への頼り方を知らない。
・全部自分で何とかしようとするぼっち精神。
・気持ちを素直に言葉にできない。
・雪ノ下雪乃に至っては、アイデンティティの欠如。
共通した自身の課題に加えて、雪ノ下雪乃の大きな課題。この辺の理解はフワッとでいいと思うのです。フワッとで。今まで間違ってこなかったらこその雪乃なりの悩み。それに対し、八幡は間違いすぎて拗らせている系だと思うので、ここだけは2人は対極にいると言ってもいいでしょう。
こうして見ると八幡てマジで失敗エピソードが強すぎてね(笑)メーラーダエモンさんから返信が来たとか、折本への告白とか。私が大好きなのは『むしろ蒸し暑いよね!』とかいうキモい発言。たぶんこれってアニオリですよね。八幡は八幡なりに失敗して失敗して、拗らせて達観してしまった男の子と言えます。
対して雪乃ちゃんは間違えることなく育ってしまったお嬢さま。周りに守られてしまうから、それはお母さんであったり、一番は葉山隼人の存在でしょうね。隼人が下手に介入したせいで孤立したことを陽乃さんが恨んでいるのも、これに通ずることなのでしょう。八幡に対しても『関わる意味わかる?』と何度も忠告していましたから。彼女が嘘を吐かない限り、間違いは間違いにならないのです。八幡もそういう部分をはじめから尊敬していたと言えます。
似た者どうしだけど、対極な人生を歩んできたからこそ『お前の人生俺にくれ』という八幡なりの告白に至ったと言えます。間違ったことがなかった‘‘雪乃の人生を歪ませる権利‘‘ですからね。彼女の成長とかそんなことは関係なく、自身の感情に任せ愛を伝えた。間違いを押し付け、それを応諾した雪乃ちゃんは初めて成長し、自身を知るに至るのだと思います。その過程を一生を持って支えると言い切った男八幡!
私なりの考えですが、八幡は自身の感情のまま初めて正解を引き、雪乃ちゃんが八幡を選んだことは初めての間違いだという対比にも捉えられる気がします。
頼り方を知らない2人。初めて頼られ依存する2人。そして温かく見守る由比ヶ浜結衣(また結衣のことを語ってしまいそうなので我慢)初めてづくしの2人の関係性は結衣のおかげで結ばれたのです。
そしてぼっちの解像度という点に戻りますが、今更ながら私自身が八幡とまんま同じ考えに至っていることを知りました。これキモい発言かもしれませんが、知らず知らずのうちに、ぼっちスキルを醸成させていたのだと思います。だけど、そこから脱却するのが物語の趣旨ですから、私だけが置いていかれていることも自覚しました。
特に印象深かったのが13巻(ページ忘れた)の八幡と彩ちゃんが話しているシーン。八幡から普通に遊びに誘って彩ちゃんが応諾するというなんの変哲もないシーンなのですが、ここで『当たり前に人がやっていることを今更できるようになったのかもしれない』と自身を振り返っている八幡に一番成長を感じました。そう、ぼっちって自分の気持ちを素直に表現できないし、人を誘うのも理由がいるんですよ。どんなに仲が良くてもそうなんです。真っ当な理由がないと誘えない。これなんですよ。ぼっちの真髄。
例えばプロムとか生徒会選挙の話もそうです。素直になれない八幡は小町を理由にして頑張るんです。真っ当な理由を貰って。そうすることでやっと動けるんですよね。もちろんこのシーンもアニメで見て知っていたけど、今思うと私もまんま同じことしていたなーと思いました。しかも最近まで。
(隙自語失礼)私も一人深く話したい友人(だった?)がいましたが、とにかく誘う理由がなくて悩んでいたことがありました。正直私のことも好意的に見てくれている友人だと思うし、普通に誘ったら来てくれるんですよ。なんか別に怖いわけじゃなくて、誘うという行為に何重もの懸念が目まぐるしく溢れてきて結局行動できないまま終わるみたいな。だから私も必死に理由を探してこじつけにもほどがある理由をでっちあげて旅行に誘いました。マジでまんま八幡で読んでいながら笑っていましたよ。この出来事が実に数年ぶりに人に踏み込んだ出来事なのですが、それ以降は理由もなしに誘うことができている?のかな? その友人もブログ書いていることを知っているので(このサイトは知らないと思うけど)何かの間違いで見てたら〇す(笑)
そんな感じでぼっちの解像度が高すぎる俺ガイルなのです。
③人間関係は誤魔化されて続く

この表題で書くつもりはなかったのですが、タイムリーに他の書籍を読んでいて思うところがあったので記します。
人間関係において本物ってあるんですかね? 今回の奉仕部の場合は本物だと思います。自分の気持ちをさらけ出してもなお関係を続けているのだから、紛れもない本物です。では、葉山隼人率やあーしさんが率いるあの集団ってどう思いますか?
ここからは私の持論です。持論というかある小説の受け売りですが。
恐らく葉山隼人の言う通り、クラス替え程度では壊れない関係性ではあると思うんです。人間関係って人間である以上人は少しずつ変わりますし、停滞はありえません。少し変わってしまっても目をつぶって見過ごすことで成り立つものだと思うんです。それを悪く言うわけじゃなく、当たり前なことだと思います。つまり、とべっちが海老名さんを好きだとか、あーしさんが葉山隼人を好きだとか見過ごされても関係性は成り立ってしまうんですね。そしていつか取り返しのつかないことになって、さらに大きな葛藤を抱えて生きていくことになるのだと思うんです。例えば『余所の子と葉山隼人が結婚して……』とかね。
それは本物ではないですよね。八幡に言わせれば。
八幡は本物云々の前に、ある程度奉仕部に居心地を感じ、材木座や彩ちゃんとの関係性もあって楽しく過ごしていたんです。そこで初めて友人関係を築いたからこそ、あのグループの歪さ、あるいは矛盾に目がいってしまうのです。八幡は修学旅行を経て私のように気づいてしまった。『このままだと取り返しのつかないことになる』と。
誤魔化されて成立しているのが普通なんですが、流石はひねくれ主人公。そこは許せないのが性なのです。私もそういう馴れ合い大っ嫌いなので気持ちは分かりますが。このまま誤魔化されて3人が進んで行ったらそうなってしまうのだろう』と思うわけです。八幡は察しが悪い人間ではないですから、どうしようもなく歪なことに気づいてしまった……。
あのグループの解像度を上げるのに、住野よる先生が描いた『告白撃』という作品が役立つと思うので、ぜひ読んでみてください。住野先生は『君の膵臓を食べたい』の作者です。
④私が思う名シーン2選

生徒会選挙での奉仕部でのこじれ、言葉にできない、行動できない八幡は静ちゃんの車で美浜大橋まで赴く。そして静ちゃんは、悩む八幡に対し、夜風に吹かれながらヒントを授ける【アニメ2期】(聖地巡礼趣味なのに美浜大橋行ってなくてすいません)
誰かを大切に思うと言うことは、その人を傷つける覚悟をするということだよ【9巻p.232】
アニメで見てもラノベで見ても、私はこのシーンが大好きです。というか全14巻で一番刺さったのがこの静ちゃんの言葉。私も人の悪意に怯える人種なので、凄く刺さった。
静ちゃんカッコ良すぎませんかね。『君は人の心理を読むことには長けているが感情は理解していない』など、八幡と向き合ってくれる理想の先生ですよ、本当。八幡が言葉にできない感情を言葉にしてくれる。だから私たちにも現状の問題がクリアになって入ってくるんですね。諭す形だから、まるで読者にも向けられた言葉みたいに思えてきて……。アニメ版では『今なんだ』という言葉に震えてしまいました。OPも相まってね。
がんじがらめだった八幡の感情が優しく解かれる様が、エモすぎる。パズルをすらすらと解いてしまうみたいに言葉にしていく様は、言葉にできない子供な八幡と大人である先生の対比をより深め、一見大人びた八幡が子供であることを思い出させ、成長する様を一番近くで感じられるから好きなのだと思います。
だから次の名シーンも同じ理由です(笑)
文化祭の終了目前、委員長の相模が失踪。八幡がそれを見つけ出し、敵を演じることで組織の瓦解を防いだ事件。初めて八幡の自己犠牲が可視化され、静ちゃんに諭される。
『誰かを助けると言うことは君自身が傷ついていい理由にはならないよ』【6巻p.343】
『たとえ君が痛みに慣れているのだとしてもだ。君が傷つくのを見て、痛ましく思う人間もいることにそろそろ気づくべきだ』
私も誰かが傷つくなら、無敵のメンタルを持つ自分に悪口を集めて世界を平和にしたいという願望がありますので、八幡のやり方はカッコいいと思ってしまうのです。マジでダークヒーロー(3期OP芽ぐみの雨より)
だから『かっけー』て思っているところに静ちゃんが来るんです。そしてここから物語は動き出す。結衣や雪乃のことを思うと苦しいんですが、そう言う自己満足な悪役を演じる八幡も嫌いになれたいところが、私の中で葛藤になって悩ませるんです。
傷つけるという行為に対し、いかに覚悟を持つべきなのか。私もそれを学びました。
八幡も同じように思ったことでしょう。
平塚静、マジで結婚しよう。
終わりに

・八幡と雪乃を結ぶ、結衣の優しさ
・八幡が結衣を傷つけたことは、大切に思うことの裏返し。
・失敗ばかりの八幡と守られてきた雪乃の対比。そして八幡の覚悟。
・それでも葉山隼人は間違い続ける(俺ガイル風)
・静×八は名シーンしかない。
今から私は結衣と挙式をした後に平塚先生とも挙式をあげる予定なので手短に。
最後に、八幡の心理描写を追うには、ラノベが最適です。よく俺ガイルは1期の方が面白いとか、キャラ萌えのアニメでしか捉えていない人がいますが、やっぱり俺ガイルは2期からが本番です。ラノベを読むと拗らせた八幡の心理描写は深く掘られていますし、自己を問い続ける姿勢も参考になるかと思います。ただ影響され過ぎてヤバい奴になるのは避けないといけませんがね。
他者理解のために、ぼっちは全員俺ガイルをよく読む必要があると思うのです。
きっと生き方に傷がつきますので、八幡に責任をとってもらいましょう!
今回はここまで。ありがとうございました。
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