【名作】伊豆の踊子(著:川端康成)ネタバレ感想~小説感想メモ㉕~

ー読書感想文ー

伊豆の踊子(著:川端康成)

伊豆の踊子
伊豆の踊子

・孤独に悩み、伊豆へ旅立った主人公。そこで踊り子の一行と出会い、そのうちの一人の少女に恋をしてしまう。少女は時に子どものように、また大人のように、目まぐるしく姿を変える。主人公の知らないところで『踊り子』として生きる彼女に思いを馳せながら、あることないこと想像する男の葛藤を描いた物語。完璧なまでの物語構成かつ、情景描写は多くの人の心を振わせた。言わずもがな、普及の名作である。

今回は『伊豆の踊子』のネタバレ感想です。

久々に伊豆の踊子を読み返していると新たな気づきも多く、改めて名作だなぁと思いました。もう2.3年前程前に読んだのですが、今更ここに感想を記します。

主に主人公が抱く葛藤と美の追求。そこ辺りを中心に感想を書きました。

↓ここからネタバレありで。


北条なすの

二次元が住処のガチ体育会上がりオタク。仕事しながらアニメ聖地の現地情報や小説の感想を綴っています。【実績:ゆるキャン△聖地(静岡西部)完全制覇・マケイン聖地完全制覇等】他にも貧乏旅行スキル、城郭、登山、温泉の記事を更新中。

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【今回の主題】
・川端康成の掲げる美
・名作の所以:美し過ぎる物語構成
・総合点


川端の美学

美学

まさに文学と言うべき清廉な物語。この短い物語の中で悩む主人公の裏に見える川端なりの美学。

ロリコンという一言で片づけるには勿体ない『子どもの女性に見出す美しさ』に共感した男性は多いと思います。

伊豆の情景と旅先で出会う踊り子の一団。では、そんな異世界に迷い込んでしまった主人公はどう行動すべきだったのか。

あと一歩踏み出せば成就したのか。

いや、あと一歩が踏み出せなかったから、そこに『物語』と『美』が生まれるのです。

主人公は、女性から見たらひ弱な男性に映るかもしれません。ですが、私はこの悲恋を肯定したい。同じ孤児根性に悩む男として。

結果から言えば、薫という同じ名前の口中清涼剤と身寄りのない婆さんを手に入れてしまった主人公ですが、手に入れたのはそれだけではありません。

『踊り子』という一生の幻想を手に入れることができたのです。

主人公はこの先も『踊り子』という幻想に囚われるのでしょう。それは裏を返せば、汚れない純白の踊子を手に入れたも同然なのです。

誰の手にも汚されない永遠の可能性と言えるのではないでしょうか。

主人公の葛藤をここで整理しましょう。

主人公は14歳の少女に恋心を抱く。踊り子になった彼女は17歳となる、すなはち大人になってしまう。そして声変わりを指摘されていたように、時間によっても大人になってしまう。大人になることを本能のままに解釈すれば、処女を失うということ。誰かの手によって汚された踊り子は、主人公の理想から離れてしまうのです。

仮に踊り子が主人公の物になったとしましょう。それは果たしてハッピーエンドでしょうか? 私はこれが問いたいのです。

主人公の物になるということは、この物語で言及される『美』を失うということでもあります。

人が動物である以上、それは主人公自らの手で汚してしまうことになるから。

人は確かに理性があります。食べ物も睡眠も交尾もある程度は我慢ができる。

でも、どこまでいっても三大欲求に勝てないのが人間です。主人公自身は、例え自らの手でも彼女を汚したくないのではないでしょうか?

よく考察されるのが、冒頭の部分。『それならば踊り子を今夜は私の部屋に泊まらせるのだ』と言う主人公の思いが書かれています。『自らの手で犯してやりたい』という本能的欲求からきた言葉なのか。『守りたい』という理性からきた言葉なのか。

これをどう捉えるかによって、伊豆の踊子の解釈は変わってくると思います。

もちろん私は後者の考えを推していますが、皆さんはどうでしょうか?

川端は現実で叶うことのない自らの葛藤を文学で追求している。本能に左右されない圧倒的『美』です。この『美』を文学の上で追求し、最後に、交わりのない『現実的な最適解』を用意していたというのが、伊豆の踊子の真骨頂。

大事な物やきれいなものに触れたら怒りますよね?

仮にあなたが1億のダイヤモンドを持っていたとしたら、肌身離さず持っているわけがないと思います。

透明な箱にでも入れて鑑賞しますよね。もしくはどこかに保管するでしょう。指紋一つ許さないはず。

それが主人公の場合『踊り子』であり、頭の中に汚されないように永遠に刻み込まれたのです。

それは苦しい茨の道かもしれません。誰かに汚されていないかと、悶々とする夜を過ごすこともあるでしょう。でも、永遠に美しいままである可能性も捨てきれないわけで。

これは臆病な男の逃げではなく、最後まで理想から逃げなかったという構図だと信じています。

……と私が語っても、『そんなの綺麗ごとだから』と割り切ってしまう人も多いのでしょう。

私がこの物語にひどく共感しているのは、私自身の女性に対する考え方と主人公の『美』が一致しているからです。

興味ない方はさっさと飛ばしてくださいね。


私が理性的に女性を捉えるなら、女性はショーケースに入れて飾るものなんです。可愛い顔を眺めていたい。三日月のように鋭く丸みを帯びた体のラインを眺めていたい。女性は自らが触れるべきものではない。そういう意味では、書生と同じような考えをしています。

この考えが前提にあるから、本能的に『犯したい』という意思が湧いても、同じだけ『犯す行動をしたくない』理性的な意思が芽生えて、釣り合いが取れてしまうんですね。

私にとって女性という存在は、どこまでも平行線なんです。いつかその均衡を破る愛が芽生えることになるのは信じてますけども。

本能的に性欲を満たしたいと思うのは分かるのですが、性に奔放な人って、理性では何を考えているんだろうと。

全てを本能に任せているのなら、それって人間としてのアイデンティティを自らぶっ壊しているのと一緒ですからね。動物に成り下がっているということ。


以上のことを踏まえると、私も主人公と同じで『一生の幻想』を持っている側の人間であることが薄っすらとお分かりになるのではないでしょうか?

まぁただの言い訳なのだと思いますけど。こういう文学作品を見ると、つい自分を照らし合わせて語らってしまう。そんな余韻を過ごすまでが『伊豆の踊子』を楽しむということです。

結論:拗らせ系男子万歳!(自己肯定w)


完璧な物語構成と悲恋

悲恋

前述までが少し長すぎたので、こちらは簡潔に。

悲恋を描くうえで完璧ですね。構成が。

互いに重なる小さなすれ違い。同じように孤児性に悩む二人。

届きそうで届かない距離感が縮まらないもどかしさは、読者を困惑させる域に到達してますが、伊豆という非日常を抜けて主人公が得たものが、『薫』という口内清涼剤。これがなんとも皮肉な終わり方で、胸を締め付けられる結末でした。

そして非日常を終える描写として、鳥打帽を被っていた書生が、それを外して学生帽に変えるシーンが描かれる。そして現実に戻って行く。

本当に物語の基本をなぞるような構成。

物語には、神話の法則などいろいろな考え方がありますが、物語のお手本に近いです。ちょっとスパイスが多すぎる気がしますがね。


終わりに

伊豆の踊子
伊豆の踊子

伊豆の踊子4.4

日本を代表すると言ってもいい作品です。作者は、人が読むというのを非常に意識されていらっしゃるのだなぁと思いました。例えば、大人への変化を『声変わり』として表現することで、たった数行で意図を伝伝えている。私のような馬鹿でも分かりやすい登場人物たちの感情と行動が、多くの人の共感を生んだのだと思います。

今回はここまで。ありがとうございました。

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