告白(著:湊かなえ)

今回は湊かなえ氏のデビュー作「告白」のネタバレ感想です。
【あらすじ】
「愛美は死にました、しかし、事故ではありません。このクラスの生徒に殺されたのです」我が子を校内で亡くした中学校の女性教師によるホームルームでの告白から、この物語は始まる。語り手が「級友」「犯人」「犯人の家族」と次々と変わり、次第に事件の全体像が浮き彫りにされていく。衝撃的なラストを巡り物議を醸した、デビュー作にして、第6回本屋大賞受賞のベストセラーがついに文庫化!「告白」あらすじより引用
まさに衝撃のデビュー作。筆者は先に「Nのために」という湊さんの著書を読んでいたので、今回のような語り口調の文体は変わらないんだなぁと思いつつ、こんな作品がデビュー作なのかと驚きを隠せませんでした。緻密に練られたパズルのような爽快感。各章の終わりで明かされる新事実。どんどんと当てはめていくと見えてくる「告白」の余波と全貌は、衝撃的なラストで幕を閉じます。

私としては、読者のことをよく考えて書いているなという印象です。
ここからはネタバレ全開でネタバレ感想を書いていきます↓
【この記事の焦点】
・「告白」ネタバレ感想
負の連鎖~衝撃の復讐劇~

母の愛を渇望する少年、渡辺修哉くんからこの物語は始まります。
母親譲りの頭脳を持って生まれた少年は、奪われた愛情を求めてよからぬ方向へ。典型的な悪の科学者思考に侵されている彼と、下村直樹くんの2人が森口先生の子どもを殺害してしまう。
ここまでは、まあ普通の事件なのです。ここまでは。
でも、その子どもが森口先生の子どもであったこと。これが全ての始まりとなり、クラスは「先生の告白」に囚われることになるのです。私はこの序章から、物凄く引き込まれました。
エイズ患者である夫の血を混入させるという狂気。この完璧な着地で第1章が終わります。
湊かなえ氏の作品は、起承転結の「起」が群を抜いて惹きつけられる。淡々と事件が語られていく中で、どこか淡白な語り口調。何かが起こる、何かが起こると、徐々に本と自分の顔が近づいていくことが分かるのですが、いつの間にか崖に落とされる感覚です。他の作家さんよりも丁寧に作られる序章は、私が特に好きな部分です。全ての章がパズルのように存在しているのに対して、その章というピースの中にも小さなパズルが組み込まれている。どこまで深く潜っても、飽きさせない工夫。これが人気の由来なのだなと思いました。始まりに関してはこの辺にしておきましょう。
そして生徒たちに対する森口先生の「告白」が、次々と事件を波及させていきます。
・下村直樹君の引きこもり、その後母親との心中未遂事件
・渡辺修哉、美月ちゃんのいじめ。
・ルナシー事件を信奉する美月ちゃんの薬品集め
・渡辺修哉の爆破事件、美月ちゃん殺害事件……等
私は常々、湊かなえ氏の作品に言葉の力を感じています。この事件の波及もまさに言葉の力。言葉にすることと、言葉にしないことの些細なすれ違いが、大きな事件に発展するのです。先生の告白に縛られる生徒ですが、誰か一人でも告発していたら? 下村くんがすぐに言って検査していたら? 美月ちゃんが本当は血が混入していないことを言っていたら? 渡辺くんが母親への想いを吐露していなかったら? たった一言で湊かなえ氏が築いたパズルを崩壊させることができるのに。こう思うと、人間は言葉を話すのに肝心なことは言わない。これは現実世界でも同じですよね。
人は言葉という手段を持っているのに、それを使わないことで新たな「悪」を生む生き物。人は超音波も鳴き声も無いのですから、話さないと分からない。私も我慢とか秘めることに美しさを感じていますが、自分でも馬鹿だなと思います。あえて言わない人間は感情をため込んで、爆発させる。渡辺くんが母親からの愛をため込んでいたように、いじめを我慢していたように。
ここに、リアルな恐怖を感じました。
どこか空想のように見える悪の波及は、現実にもあり得る問題なのだと。特に思春期の最中である学生には。曲解されて胸にため込み自分を見失ってしまう人間の闇を見た気がしました。
こう思うと、他の動物に比べると人間はみなコミュニケーション障害なのかもしれない。
感化される思春期の子どもたち

思春期って難しいですよね。どうして、真っすぐなものを真っすぐに受け入れられなくなってしまうのでしょうか。子どもは言葉を真っすぐに受け取る。大人はそれを真っすぐには受け取らなくなる。その中間にいるから、おかしくなってしまうのでしょうか?
どうして、特別になろうとすること、注目してほしいこと、母親への愛が犯罪に変わってしまうのか。私は渡辺くんにも同情の余地はあると思いました。誰かそれを止めてやれなかったのか。結局人間は自己の追求にしか興味がないんです。例え先生だろうと、ヒーローであるとも自分がかわいくして仕方がない。ウェルテル先生もそうですけど、みんな自分が好きなんです。自分が嫌いとということもあると思いますが、それは可哀そうな自分に酔っているに過ぎない。もしも人間から自己愛を奪ったら、人は人で無くなるとは思いますが、それはそれで幸せなのかもしれないな。
「告白」を読んで、教育者の在り方というのも考えてしまいました。客観的な正しさではなく、主観的な正しさを追い求めてしまう教育者が多すぎる気がするのです。それでは、生徒と向き合わずに自己主張を繰り返すのみ。そんなものでは多くの人の心には届かないし、一つの解しか与えることが出来ない。人はみな違うのですから、多くの選択肢を与えないと間違ったままの道を歩んでしまうのです。渡辺くんが、そんな解を教えてくれる先生に出会えていたら、下村くんがそんな先生に出会えていたら。そう思うとウェルテル先生の罪は重いのかもしれません。
しかし、時には主観的な正しさが心を打つのは事実。言い換えればそれは一人称の純文学ですから、その正しさが、思春期の子どもにとっても正しさになりえるのならそれがいい。渡辺くんにとってはそんな先生が母親だったのでしょうね。誰かがそれを理解してくれれば、更生の余地は生まれていたのかもしれません。
だからこそ、口下手な人間こそ想いを言葉にしましょう。私も学生の頃から抱える癖しかありませんが、そんな自分を変えてみようと思えるきっかけになりました。
終わりに

告白
人との向き合い方、言葉との向き合い方。言葉に縛られる人間の負の側面を見ることが出来ました。人類皆、一度はこの作品を読むべきだ。そう思える作品でした。
今回はここまで。ありがとうございました。
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