【超大作】1Q84(著:村上春樹)ネタバレ感想~小説感想メモ㉗~

ー読書感想文ー

1Q84(著:村上春樹)

1Q84(著:村上春樹)
1Q84(著:村上春樹)

・1Q84年ーーそこには月が二つ並び、現実の世界と物語がリンクしている不思議な世界。ヤナーチェックの『シンフォニエッタ』に導かれて1Q84年に入り込んでしまった天吾と青豆は、再会を果たすことができるのか。‘‘村上春樹‘‘が存分に詰め込まれた6冊に及ぶ壮大な物語の中で、二人の主人公が織りなす純度120%のラブストーリー。

本作に出会い別れを告げるまで、あっという間の8か月でした。村上春樹先生の作品の中でも無類の人気を誇っているだろう本作は、4月~6月のBOOK1、7~9月のBOOK2、10月~12月のBOOK3に分かれる長編小説です。

私も6冊に及ぶ小説は初めてだったかもしれません。学生時代に『太閤記』を読んだときにそのぐらい長かった覚えがありますが、社会人になりこの長さの物語を読んだのは自分でも驚きました。BOOK OFFで手に入れる都合上、少し期間は空きましたが、手元にあればついつい寝る間も惜しんで読んでしまうほど夢中になれました。

人によっては6冊もあると中々手を出しづらいと思うかもしれません。

ですが、それでも読んで欲しい大作(今更)ですので、今回も簡潔に、ほんのりネタバレを添えて感想を綴ろうと思います。

北条なすの

二次元が住処のガチ体育会上がりオタク。仕事しながらアニメ聖地の現地情報や小説の感想を綴っています。【実績:ゆるキャン△聖地(静岡西部)完全制覇・マケイン聖地完全制覇等】他にも貧乏旅行スキル、城郭、登山、温泉の記事を更新中。

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【今回の記事の概要】
・1Q84ネタバレ感想
~二人のための物語~
~何者でもない天吾~
・総合点数


二人のための物語

本作は、何ともお洒落な導入から始まります。この時点で読み切ることを決めた人も一定数いるのではないでしょうか? 明確な入口があることで、物語の世界に一緒に入り込みやすい。村上春樹先生の作品は、叙情的な文章で綴られている中でも、物語の構造がはっきりとしているのが人気を博している理由の一つなのかなと思いました。

始めは青豆ちゃんが1Q84年に迷い込む場面から。タクシーの中でヤナーチェックの『シンフォニエッタ』を聞きながら始まります。この時点で私の心も1Q84年に吸い込まれていたと言っても過言ではないでしょう。この曲と物語の融合こそ、村上春樹の特徴の一つ。教養のない私はすぐに『シンフォニエッタ』をググり、想像を膨らませます。『何かが始まる……!』という壮大な曲調に合わせて、はい洗脳完了。

ということで、題にさせていただいた『二人のための物語』に着目します。

まぁとにかく超大作という言葉が相応しい物語でした。

『1Q84』は牛河をはじめ、多くの事象が複雑怪奇に絡み合う物語です。ですが結局は、二人が結ばれるため‘‘だけ‘‘の物語であったという一言に尽きますね。天吾と青豆はどうしようもないぐらい結ばれる運命だった。ただそれだけなのでしょう。

ふかえり、牛河、さきがけ、タマル、アダチクミ……多くの人が登場しました。二人を再会に導く舞台装置としての彼らは、最高級の脇役です。特に大きな役割を担っていたのは、『ふかえり』という存在。直接的なシーンで言えば、雷雨の夜、つまり青豆がさきがけのトップを殺し、天吾がふかえりと交わった夜。青豆の子宮はふかえりと繋がり、天吾の子を身籠りました。私はこのシーンがとても印象に残っています。

それまでは『ふかえり』という存在を常に念頭に置いて物語を読んでいました。『どこか人間的な部分が欠如している彼女が二人をどう結び付けるのだろう』『そしてさきがけのトップの娘である彼女の運命は……』と彼女の存在を含めて、まるで主人公が3人であるかのように読み進めていました。ですが、機械的に性交をこなす彼女を見て、そして‘‘小さなもの‘‘を受胎した青豆を見て、私はハッと気づくのです。

彼女ですら二人を結ぶための役者でしかなかったのだと。物語の中心にいた『ふかえり』を、1Q84年という舞台から急にフェードアウトさせてしまうのが凄い。そんな単純な言葉しか出てこない自分がもどかしいですが、普通だったら隅々まで伏線を回収して、『あのキャラは……』としたくなるところを、名残惜しさも抱かせない程に消し去ってしまう。

よく考えれば回収されていないことが多すぎるんですね。『さきがけについて』『二人の世界は本当に1984年?』『年上のガールフレンドは』『結局天吾の父親は?』『あゆみの死の真相は?』etc……。

背景を全て決して残った天吾と青豆。たった二人の世界が全てであり結論である。

では、どうしてここまでして背景を消し去る必要があったのか?

二人の理解者はお互いだけである必要があった。孤独であることが二人を結び付ける理由だから。そうしないと二人の思い出が消えてしまい、出会うべき理由がなくなります。そこに誰かがいては、あれほどまでに些細な思い出は残らない。誰かと距離が縮まってしまったら、簡単に吹き飛んでしまう枯れ葉のような思い出なのです。そう考えれば、彼ら二人の周囲で近しいものが、全員消えていく様に納得ができます。そして理由もいらないことに。牛河と入れ違いで二人の関係性が明かされる前に都合よく消されたことも、帰り道に高速でタクシーが拾ってくれることも含め全部に理由はいらない。

これは二人が出会うため‘‘だけ‘‘の物語だから。全員物語のつなぎ、あるいは天吾と青豆が出会うまでの暇つぶしであり、役割りを終えた者は死んでいくのみ。

『1Q84』という作品が、究極のバランスで成り立っているのがよく分かります。


何者でもない天吾

孤独

ここでは、天吾の孤独についてを。

全体を通して私が一番印象に残っているのは、天吾とNHK職員の父親の関係性について。特に父親が無くなり、封筒を受け取るシーンでは考えさせられました。

物語の主題からは遠ざかってしまいますが、父親の背中というのが心に染みました。彼なりに努力していて彼なりに息子を愛していたのかもしれない。それが伝わってきて、私は思わず涙をこぼしてしまいました。

ここからは私の推測で話しますが、彼は天吾の父親ではなかったのでしょう。だけど、彼なりに天吾と向き合っていて、NHKの集金に連れてっていたのでしょう。胸を張っていられる時間は、集金の時間しかないから。不器用な父親というのはそういうものなのです。普通に社員旅行で笑っている彼の写真とかが出てきて、天吾が想像していた父親とかけ離れた姿を見てしまった場面では、感嘆の声をあげてしまいました。

『父親も普通の人間なんだな』って思ってしまうと心苦しいものがあります。誰もが通る道ではないでしょうか。いつの間にか大人になって、今まで甘えて来た父親も普通の人間であることを知る。それは天吾も例外ではなかった。

私の父親もそういう人間だったからよく分かりました。天吾が父親の死と向き合う場面は、伝えてあげられることが‘‘それ‘‘しかないという父親の葛藤がとても鮮明に描かれた場面だったと思います。

自分に置き換えただけで、マジで胸が痛むのでもう考えるのは辞めておきます。私もある種‘‘強制‘‘されていて、父親とぶつかったことが何度もありましたが、今は何となく理解できます。胸のあたりが痒くなってくるので、この話はこの辺でフェードアウト。考えたら負けだ。

だけど

父親は真実を語ることは許されなかった。ここは天吾と青豆が結ばれるための世界だから。

二人は孤独である必要があった。『天吾は何者でもない』必要があったとも言えます。

1Q84という世界の構造上語られなかった真実を、真正面から対面してしまったのならきっと、読者の胸をひどくえぐったことでしょう。例え語られなくても、滲んできてしまう真実はこれほどまでに私の胸をえぐっている。村上春樹先生恐るべし。


終わりに

1Q84(著:村上春樹)
1Q84(著:村上春樹)

1Q844.4

・1Q84年という世界は二人のための世界。
・二人のために語られなかった真実がたくさんある。
・『1Q84』はやっぱり超大作に相応しい物語。

実はこれまでも色々と村上春樹作品を読んできましたが、ブログに感想を綴り始める前のことでしたので、ブログに村上春樹作品を載せたのはこれが初めて。感が合えれば考えるだけ、村上春樹先生の‘‘物語る力‘‘のヤバさに気づかざるを得ない。

今回はここまで。ありがとうございました。

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