敗者たちの季節(著:あさのあつこ)

【敗者たちの季節あらすじ】
今年の夏の甲子園予選決勝における海藤高校と東祥高校の戦いは、9回裏のサヨナラホームランで決着した。あと一歩で甲子園を逃した海藤高校の3年生たちは‘‘敗者‘‘として夏を過ごすことに。現実を受け止め、それぞれの夢へ歩き出し始めようとしていた。しかしそんな最中、東祥高校の不祥事で繰り上げによる甲子園出場が決定。海藤高校の部員たちは煮え切らない思いを抱えつつも、再び‘‘夏‘‘へ駆け出そうとしていた。全力の青春で苦汁を飲んできた高校球児たちそれぞれの夏を描いた長編物語。
今回は『敗者たちの季節』のネタバレ感想です。
作者はお馴染みのあさのあつこ氏。野球と青春を描かせたら右に出る者はいないでしょう。
筆者も代表作である『バッテリー』を読んだ覚えがあります。特にアニメが大好きで、他の野球漫画にはない落ち着いた(険悪な)雰囲気と、思春期の‘‘負‘‘の面にスポットを当てていた点がお気に入りでした。
確か『バッテリー』は課題図書などにも選ばれていた記憶があるので、読んだことがある人も多いかもしれませんね。
閑話休題、ただ今回は『バッテリー』ではなく『敗者たちの季節』という作品です。
『バッテリー』と同じく、スポットライトの当たらない影に焦点を当てたような作品で、夢破れし者の葛藤と未来への不安が痛いほどに伝わる小説でした。
野球ではないですがスポーツに青春を捧げていた筆者には刺さらないわけがない作品でしたので、今回はそんな『敗者たちの季節』のネタバレ感想をお送りいたします。
【今回の記事の概要】
・『敗者たちの季節』ネタバレ感想
・甲子園のさきにあるもの
・夢破れ現実を知る
・総合点数とまとめ
・その他の小説感想
甲子園の先にあるもの

本作は多くキャラクターの視点から甲子園という夢を追いかけることができました。
それぞれ着目してほしい葛藤を別の人間の目を借りて見る形式だったのかなと思います。気持ちが交差して絡み合うことで、心を覗いているような感覚が植えつけられました。
第三者の目は常にスポットライトが当たる場所にあります。影の努力も葛藤も知らずに、物語の登場人物に仕立て上げる。メディアはそれを扇動し、人々の心へ残酷なまでに改ざんされた物語を届けるのです。
いつしか日本人は『甲子園に物語を求める』ようになりました。
まるで甲子園が物語のクライマックスかのように持て囃す。第2章があるのは限られた選手だけで大半の人間はスポットライトの下からフェードアウトしていきます。
それでも当事者たちの物語は終わらないのです。
甲子園に行けてハッピーエンドでもなく甲子園に行けずバッドエンドでもありません。甲子園で何を見たのか、負けて何を感じたのか、そしてその先の人生に何を描くのか、傍から見ている僕たちは知りえない葛藤を知ることは、未知の世界に触れることでもあり、郷愁の世界を垣間見る瞬間でもあるのでした。
筆者は後者で、我武者羅だったアスリート時代の自分を思い出しながら読んでいました。
大人になったからなのか、強く痛感したことは
『何があるか分からないのに努力できるのは学生の特権』だということ。
分からない場所に夢を抱いて駆け上がっていけるのは本当に凄いことだと思いました。確かに悩むのです。意外と現実を見ていて、壁にぶち当たったり、何かを諦めたり。そういう人間も増えてくるのがこの年代。
だけどみんな霧がかった山頂に向かって駆け出していくんです。
『何かがあるかもしれない』
『今は分からないけど、何かがきっとある』
そんなギャンブルに青春を捧げるなんて、大人からしたら馬鹿げている。
昔の自分にもそう思うし、本作の高校球児に対しても強く思いました。
しかし、それは嫉妬の裏返しでもあります。
もしかしたら、このグラウンドでプレイすることで、見えてくるものがあるのかもしれない。掴める何かがあるのかもしれない。甘いかな、おれ【p.192より引用】
本当は先生になりたい慎介くんの言葉です。
冷静に考えて『意味があるのか?』と問われれば部活動なんてほとんど意味がない。わざわざ野球である意味とか、どこでやっても同じなのに甲子園でプレーする意味も、傍から見たら意味が分からない。
なのにそんな確証のない未来へ全力を注ぐ学生たち。無論、僕もそうだった。
今同じように我武者羅になれるかと言われれば、絶対になれないと筆者は思う。青春はある種、どんなことにも因果を結び付けられる特別な魔法なのでしょう。
確かに目的とか具体的な未来に向かって努力することはできるかもしれない。
ただ我武者羅にやれと言われれば、何も考えずに社会の奴隷になるだけで。
彼らにとっての『甲子園』・誰かにとっての『何か』が夢であり続けていたのは、終わりが常に近くにあるからなのかなと思いました。
本作のテーマの一つだろう『あいつだって何かを抱えて戦っている』というニュアンスの言葉は特に象徴的です。
現実を見ていないから馬鹿な夢が追えるのではなく、現実を見ているから追える。
終わりが来ることが確実だからこそ、夢を見ていられる。
高校生は『大人ほど腐ってもいなくて、子供ほど繊細じゃない』
互いにそれを知っている上で夢を見ている。
なんて美しいんだろう。もう届かないから余計に染みているのかも。
誰かの目を借りて葛藤を映し出すことで、言わなくても理解している関係性を描きだす。そして影に埋もれていた彼らの絆は、僕らが忘れてしまった青い夢を思い出させてくれました。
佐倉一歩と言う選手の物語に誰も着目しない。わかり易い感動も悲劇もないからだ。でもと、直登は考える。……その言葉の裏にある深い物語に、1人、頷いてしまうだろう【p.224.5より引用】
お笑い芸人志望の控え選手佐倉くんを直登くん視点から映し出している、印象的な独白です。友情を越えた絆で結ばれているからこそ、陰で苦しんでいる佐倉くんを知っている。
当事者たちにしか分からない物語は甲子園の先まで続いていく。クライマックスは決して甲子園じゃないのです。
皆さんは、あの頃の自分と顔向けできるでしょうか。僕はそんなことを考えていました。
敗者であることに価値が生まれるのは、その先に成功があるから。強い思いで人生を進めることができたなら、負けたままだった物語は刷新されるでしょう。
そしてその物語に深く共感してくれる人がいる。
なんと幸せなことか。
時々過去の自分を思い出しながら、いつかのクライマックスのために頑張っていこうと改めて思いました。
敗者たちの夏

細部までこだわりぬいた青春模様は、この作品の魅力だと思います。
特に共感したエピソードは……
褐色に近いほど焼けた肌に目が慣れ、それが地肌だと思い込んでいたのに、翔も紘一ももともとは色白だったらしい【p.234より引用】
敗者たちの季節というタイトルにふさわしい表現です。
勝者は今も真っ黒になって戦っていて、敗者は徐々に白色に染まっていく。肌の色を通して明確な線引きがされています。また、慌てて塾通いを検討し始める野球部員たちにも。敗者の色を感じました。
この認識のずれは非常に共感できるものでした。
ちょうど部活を辞めた筆者も自分の肌の白さを知って、感慨深くなっていたところでした。きっと誰しもが通る‘‘夏‘‘なのです。その先に冬があって、また夏がある。
つまり、敗者にしか気づけないこともある。
裸の自分を知って敗者はまた前を向いていく。空を見上げれば、敗者の季節だって夏真っ盛りなのです。一度リセットされた無地の身体を、今度は何色に染めていくのだろう。
それを想像するだけでも筆者は楽しくなってくる。
今の僕は何色に染まっているんだろうか、なんて感傷に浸ってしまうのでした。敗者たちの夏は、終わりの夏ではなく、はじまりの夏なのです。
終わりに

【敗者たちの季節まとめ】
・甲子園がゴールじゃない。真の意味で物語が始まる場所が甲子園なのである
・意味がないことに意味を見出すことができるのが学生の特権だ
・敗者にしか気づけないこともある
・敗者たちの季節には、雲一つないまっさらな青空が広がっている
敗者たちの季節
今回は『敗者たちの季節』(著:あさのあつこ)のネタバレ感想でした。
共感を呼ぶエピソードの数々から、忘れてしまっていた自分の欠片を取り戻すことができる物語です。香る青春を、ぜひその目で体感してみてください。
今回はここまで。ありがとうございました。
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