『アニメ聖地巡礼』イベントの流行

アニメのモデルとなった地域を探訪すること。より作品へ没入するために、またはキャラとの同一化を図ることで、精神的満足を得る行為である。
今回の主題は……
『やはり最近のアニメ聖地巡礼は間違っている』
オタクらしく痛々しいタイトルにしたいと思い、こんな題名になりました。
アニメ聖地巡礼と言えば、最近メジャーになったコンテンツツーリズムの一つでしょう。

筆者もアニメ聖地巡礼が好きなんだよね?

そうですね。好きなアニメは巡礼するようにしています
アニメの聖地巡礼の魅力はたくさんあります。
例えば、現実世界でキャラに会えること。
実際の場所で妄想に耽り、頭にキャラクターを浮かべる。すると、頭の中に構築していた二次元の世界とリアルの三次元が融合し、新たなる世界が出来上がるのです。
そんなオタクの妄想旅を支えるのが、舞台となった自治体や聖地巡礼イベントの企画者たち。彼らなくして充実したアニメ聖地巡礼を行うことはできません。
・楽しめるようにスタンプラリーを企画。
・キャラの等身大パネルを設置。
・聖地巡礼マップを配布。
他にもたくさんの工夫があるからこそ『アニメ聖地巡礼』はコンテンツツーリズムの最強格として君臨しているのです。

主催あっての聖地巡礼なんだね

そうなんです。最近は自治体も積極的なのですが……
アニメ聖地巡礼は、いまだ発展途上の世界。中国とかインドとかそういう類の急成長だと筆者は考えています。何といっても日本のアニメ文化はまだまだ始まったばかりですから。
・オーバーツーリズム
・街の景観の変化
・地元民や観光客の異文化に対する排他的な思考など
未だ多くの問題を抱えています。
つまり筆者が言いたいのは、アニメ聖地巡礼という文化には綻びがたくさんあるということ。
そして今回は、ヘビー巡礼者の筆者目線で感じる企画者側の問題点を提起します。
導入が長くなってしまいましたがこのぐらいで。
【今回の記事の概要】
・最近のアニメ聖地巡礼文化が抱える問題点。
・アニメ聖地巡礼:主催者側の見え透いた策略
・アニメ聖地巡礼:巡礼者の動機は?
・解決への導き:原点を思い出すこと。
主催者側の見え透いた策略

【問題提起】
アニメ聖地巡礼が地方創成ごっこに利用されているのではないか。
かつてのアニメ聖地巡礼は異端なツーリズム形態として懐疑的な目で見られていました。
まだオタク文化も浸透していない20年前からアニメの成長と共に巡礼の文化も醸成されてきたと言えます。水面下で人気を獲得してきた聖地巡礼の文化は、徐々にその魅力が世間に知られるようになりました。
例えば『らき☆すた』の鷲宮神社(埼玉県久喜市)
『ガールズアンドパンツァー』の茨城県大洗町など。
そしてその経済効果に注目が集まりました。
『こんな場所に観光客が来るの⁉』と多くの人々が驚いたことでしょう。今まで注目を浴びてこなかった街の名前が脚光を浴び、人気の観光地となっていく。
それはどこの自治体もその効果が欲しくなりますよね。
でも、そのせいで聖地巡礼の目的からかけ離れた安価な聖地巡礼×アニメが増えてしまった印象です。見え透いた策略を練ってオタクを集客しようとする行為は、果たして『地方創成』だと言えるのでしょうか。
『オタクはこういうのが良いんでしょ?』
『こうすればオタクが来てくれるんだよね?』
と、どこかの企画をコピペしたようなものも。
正直、アニメ放送と同時に聖地巡礼イベントを開催してしまう行為も、私は疑問に思っています。それがクオリティの高いアニメで人を導く力があるのならいいですが……
聖地巡礼って大々的に集客して呼ぶものなのか。
筆者はアニメ聖地巡礼を、普通のツーリズムと同列に扱われることに違和感をおぼえました。
つまり、『アニメ』という土台を蔑ろにしていませんか?ということです。
聖地巡礼とは溢れ出る衝動である

アニメ聖地巡礼とは溢れ出る衝動である。
聖地巡礼をさせるアニメ。
聖地巡礼をしてしまうアニメ。
最近はオリジナルアニメを制作して放送と同時に聖地巡礼を促すことも多いです。この差が『地方創成ごっこ』を生んでしまうのだと思います。
まずアニメあっての聖地巡礼です。
聖地巡礼とは、脳を焼かれたオタクの本能的な衝動なのです。
気づけばその地に赴いている。それが理想だと思います。
『行かないといけない』
オタクとしてそう思わせるアニメが欲しいというのが本心です。
行かされている聖地巡礼は楽しいですがどこか義務感が生じてしまう。
筆者にもあるんです。大好きなアニメで聖地巡礼がしたいけど、どこか誘導されている気がして心に義務感が生まれてしまうこと。
オタクとしては完璧なまでの衝動による聖地巡礼がしたい。そうすればお金も落とすし、地域で豪遊するものです。
アニメにまずは注力して欲しい。全部終わってからでいいじゃないですか。そしたらぶっちゃけた話、失敗したアニメであるなら経費も削減できる。あくまでも自治体が協力しているのなら、そういう‘‘お金‘‘の話にもなってきますからね。
押し過ぎはよくない。相手はオタクですヨ。
解決案

【解決案】
①何がしらのアクションは必要だから、義務感を限界まで削ぎ落す企画。
②原作と巡礼を同列に語らないこと。アニメあっての聖地巡礼に。
①
聖地巡礼に関しては、確かに企画者側のアクションは必須です。どこまでいってもマイナーなツーリズムであることには変わりません。だから、聖地巡礼に対する義務感を解消するぐらいの手助けでいいのではないでしょうか。
もちろん大々的な宣伝や企画を批判するわけではありませんが、筆者個人の意見を言わせてもらうなら、聖地巡礼マップ程度でも十分であるということ。
能動的に巡礼させるためには、『小さな政府』形式で十分。
オタクはそれで分かるので、お淑やかに巡礼を行い、人知れずお金を落とします。
②
これが一番大事なこと。アニメと同列に語らない。
アニメあっての聖地巡礼なのに、アニメを蔑ろにすることは製作者側にも失礼だし、上手くいくわけがない。見え透いた地方創成ごっこは失礼に値する。
あまり具体的な話はしたくないのですが、かつて筆者の逆鱗に触れた作品もあります。
スカスカのアニメを作って、しかも放送時間の半分を声優が作中の舞台を巡る形式にしたこと。筆者は今でも恨んでいます。とっても楽しみにしていたのに。
そして素晴らしい例を1件紹介。
ハイクオリティ過ぎる話が筆者の中に衝動を生み、聖地巡礼させた例です。
つまり聖地巡礼をしてしまうアニメ。

オタクの中では非常に高評価の『かげきしょうじょ』その中でも8話にだけ登場したこの真名瀬バス停(神奈川県)
もうね、13話総じてハイクオリティなのですが、この8話がずば抜けてヤバかった。
気づいたら聖地巡礼してた。
聖地だけど企画は何もありません。アニメのつくり込みのおかげで高い満足感を得ることができました。これが巡礼を生む土台です。
これにほんのちょっぴり宣伝があればもっと巡礼者も増えると思うのですが、恐らくあまり人は来ていません。
ここに企画者側の手助けが必要なのです。それとなく教えてあげるのが一番。
【結論】アニメ聖地巡礼のあるべき姿

【まとめ】
・アニメ聖地巡礼とは溢れ出る衝動である。
・原作と巡礼を同列に語らないこと。アニメあっての聖地巡礼に。
・企画者側は自発的聖地巡礼を促す手助けが理想。
『やはり最近のアニメ聖地巡礼は間違っている』
アニメ聖地巡礼はアニメという原作があってこその文化です。
大事な日本の文化です。
これからも楽しく巡礼できるように、互いに節度ある活動を願っています。
今回はここまで。ありがとうございました。
【関連記事:普段からアニメの巡礼をしています】
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